前回vol.3はプライベーツのマネージャー時代の話でした。
前回のあらすじ
新たな道の選択肢は3つ!その中でレコード会社を選んだ理由
プライベーツ のマネージャーを辞めて、次はどうされたんですか?
その時考えてた選択肢が3つあってね。1つ目は大好きなプロレス界の仕事に行く選択、もちろんスタッフとしてね(笑)2つ目はアンジーと仲良かったから、ボーカルの水戸くんのマネージャーって話もあったんだ。3つ目がレコード会社で働く事!
その中でレコード会社を選んだわけですね?
そう!俺みたいなマネージャー経験者が、レコード会社に入って業界変えてやる!(笑)って思って、レコード会社に行くことに決めた。そして候補として東芝EMIか、 日本フォノグラム。そして日本フォノグラム(現ユニバーサル ミュージック)からすぐ来てほしいって事で入ったんだ。当時の日本フォノグラムは邦楽部門を再開したばかりで、まだ比較的小さな規模だったので、いきなり大きな組織に入るよりも何かと色々と経験が積めると思ったんだよね。それにレコード会社に入る時は、ある程度の年齢になってたし、新卒の皆に遅れないためにも、日本フォノグラムで早く色々経験したかったってのも理由かな~。
日本フォノグラムでは誰を担当してたんですか?
一番はじめは、原田龍二。
最近はバライティーにも出てる役者の人ですね。
そう!次が本田美奈子、あとは盲目のギターリストの長谷川きよし。それからちょっと時期があって、ROUAGE、ディアマンティス、中山加奈子、筋肉少女帯、BUCK-TICKだったかな。
錚々たるメンツですね~。
そうして日本フォノグラム(現ユニバーサル ミュージック)には通算6年間在籍したのち退社する事になって、丁度その頃お世話になってた方がワーナーミュージック・ジャパン に居たので、一度相談しにいってみようかな~って(笑)あの頃は結構色々なところからもオファーが来たんだけど、結局は相談したワーナーに行ったんだよね。そしてワーナーに入って「HEADROCK」と出会うんだよ!
パンク・ロックイベント【HEADROCK】の誕生の経緯
HEADROCKが始まるキッカケは何だったんですか?
俺は当時、ワーナーのメジャーレーベルのディレクターだったんだけど、それとは別でワーナーインディーズレーベルがあって、そこでも新人発掘とかやってた。メジャーで担当したのは華原朋美、Sugar Soul、鈴木祥子とかやってた。インディーズではTHE PAN、 FOOT STAMP 、ゼンマイ虫、VooDoo Hawaiians。
色んな人やバンドを担当してたんですね!
そんな時に、たまたまLOFTのシゲ(故・小林社長)とお茶飲んでて、俺が「今、若い日本語のパンクバンドを手掛けてるんだ。今からは日本語のバンドがどんどん出てドーンってなるかも。」って日本語のパンクバンドが売れるような気がして話してたの。当時人気があったのはほとんどが英語の歌詞のバンド、代表的なのはHi-STANDARD、NICOTINE、SNAIL RAMP。でも絶対このシーンからTHE BLUE HEARTSやEASTERN YOUTHのフォロアー的なバンドが出てきて、今までのシーンをぶち抜いていくんじゃないか!って気がしてて。過去にX JAPANやLUNA SEAがビジュアル系の土台を作って、それから続々とバンドが続いていって盛り上がったシーンがあったから、そんな感じでいくと思ってて。
ビジュアル系のシーンはすごかったですね。あの頃は、ほぼ社会現象でしたから(笑)
そんな話をシゲにしてたら、「ナミジンの見方は合ってると思うから、そういうバンドを集めてイベントやってみない?」って事を言われ、えー!?イベント!?って、イベントなんて自分がやるって夢にも思ってなかったのに。
最初のキッカケはシゲさんの一言なんですね。
そう!でもさ、当時レコード会社の社員だから、勝手に決めれないから上司に相談するって持ち帰って、その次の日に上司に相談したら「面白そうじゃん!ナミジンやりなよ!」って言われたの。その上司は、「それがキッカケでナミジンが新しいバンドに出会えれば、それはいずれワーナーにとって財産になる可能性があるから、やりな!イベントの日は会社来なくていいよ!」ってなったの。
その上司もすごいですね!でも面白いことをやらせる上司が居たからこそ、HEADROCKがやれたんですね!
そうなんだよね!そしてシゲにも「LOFTとシェルターは好きに使って良いよ!」って本当に良いんですか!?って、それで年に4回、下北沢のシェルターでHEADROCK NIGHTを始めたの!その当時はワーナーの社員で給料もあったから、イベントの売り上げは出演バンドに全て還元してたよ!バンドにとってもいいイベントだったと思うよ(笑)
だからヘッドロック盛り上がってましたよね!
そしてNICOTINEとかHIGHWAY61とか担当するようになってた時には、ワーナーで6年ぐらい経ってて、丁度そのころ会社の雇用関係が変更になって、早期退職者募ってたし、俺もやりたい事幾らでもあったからいい機会だし辞めるんだけど、その時考えたのはワーナーってすごい看板だけど全世界に社員が大勢居て、HEADROCKは世界で自分一人しか背負ってなかったから、やっぱり俺はHEADROCKで生きていこうと決めたんだよね!
vol.4へ続きます。
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