前回はHEADROCKの始まりについてまで、語って頂きました。
前回のあらすじ
何も分からないところからDJを始めたのもあるキッカケから
HEADROCK NIGHTの10回目ぐらいでDJ始めたんだ。
それまではDJはしてなかったんですね。
そうやってなかったの。10回目で川崎のCLUB CITTA’ではじめてやる事になって、ライブの転換中に何かないと寂しいからどうしようか?ってCLUB CITTA’に相談した時に、「DJやんなよ!ナミジン!」って、DJもやるつもりなかったけど、共通の友人の彼もDJをやってるよ!って言われて、それだったら俺にも出来るかなっておもしろい説得され、DJやるんだけど。
素人だから何も分からなかったから、ライブの転換中を全部1人でDJしてたの。おそらく3時間ぐらいね。それまでDJは1人でやるもんだと思ってたから、交代とかしらなくてね。
話を聞いてると、ナミジンさんは誰かがキッカケを作ってくれてますよね?
何にも自分からやってないねw バンドも、マネージャーも、イベントも、DJも。DJもはじめの頃は、やっぱり硬かったけど、はじめてTHE HIGH-LOWSがHEADROCK NIGHTに出演してくれる事になって、やっぱりイベントに来てくれた人にHEADROCK NIGHTのファンになってほしかったし楽しんでほしかったから、DJでMCとかもちゃんとやろうって。それまでマイク持ってしゃべる事なんて演ったこともなかったから、当時HIGHWAY61に、ツアー回る際に、DJとして経験積ませてほしいとお願いしたの。そしたらHIGHWAY61の皆が快く快諾してくれて、それでツアー中、DJをやらせてもらえる事になったの。とにかくDJを必死にやって、もう最初は舞い上がって、しゃべるのも恥ずかしくてw
それが実を結んだのか「みなさん、こんばんはー!」「楽しんでね!」とか言えるようになって、THE HIGH-LOWSが出てくれたHEADROCK NIGHTでDJ演ったんだ!
ナミジンさんは、やると決めたらやる人なんですね。
DJを演っていくうちに段々と慣れてきて、しゃべるのも普通になってきたの。もともとアマチュアバンドとかも演ってたけど、当時は緊張してて、お客さんの目を見たことなかったの。でもDJやるようになって、場数を踏んでいくうちに、DJ-namijinとしてちゃんと出来たんだよね!やっぱりDJってたった1人で盛り上げないといけなくて、大変だけど、演っていくうちに徐々にお客さんをちゃんとリードして盛り上げられるようになったの。
42歳からまたバンドに挑戦することにしたわけ
今の俺だったら、もしバンドをやったら自分が理想とするバンドの姿に近いんじゃないかって思って、バンドをやろうって決めたの!
バンドを始める時の年齢が42歳なんですよね?
そう!はじめにバンド組んだ時のメンバーは、IN-HIのシモジとHIGHWAY61だったマサルくん!事情があってマサルくんはすぐ脱退しちゃったけどw
それでバンド名を何にしようかって話になって、その時に「NUM42」ってどうだろうって俺が提案したの。ナミジン42歳で面白いし、後からバンド名は?由来は?って聞かれた時に「俺ナミジンって言うんだけど、42歳でバンド始めたんだ!」って言えるし、それが世間の同世代に勇気与えるから良いなって思って!人間幾つになっても新しい事始めるのに年齢は関係ないって、俺がそれを体現するから勇気出してって!
それは本当にすごいです!今でも続けてるんで!
丁度ワーナーを辞める時のタイミングと被ったんだけどね~。辞めるのもあったしDJとして、イベントオーガナイザーとして、バンドマンとしてそろそろ一人歩き出来るから、もうワーナーの看板は無くても生きていける思いがあったね。その時は根拠なく思ってたんだよ。
会社辞めてバンド組んで、そして右手の甲に太陽のタトゥーを入れたの!
そのタトゥーには意味があるんですね?
そう!意味があるんだよ!トライバル族ってどうも昔居たらしくって、戦いに行く時に鼓舞するために、トライバル模様を体中に描いて戦いに行くんだって!
これは42歳で業界を辞めて、もうここには戻らないって気持ちとこれからの人生を太陽の印で戦い抜くぞ!って思いと込めてるんだよ。
ライブステージで拳を揚げた時に太陽が上ってるってのと、俺の心が弱ってるなって時は、この太陽を見て志を再確認するためにもいいからね。これ以外のタトゥーは入れないよ。
色々な思いと志のための証なんですね。
Vol.5に続きます。
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