誰もが羨む音楽ライフ!体現者のDJ-namijinその人とは vol.6

ライフハック
スポンサーリンク

お待たせしてしました!

namijinさんへ続編取材をやる事が出来ましたので、読んでください。

前回までのあらすじ

高田馬場から渋谷に来て大きく変わった事は

音楽業界、音楽関係、バンドマンの仲間が飛躍的に来てくれるようになったね。
その後、昔アミューズに居た事に逆上って、アミューズ時代、スターチャイルド時代、ユニバーサル時代、ワーナー時代の通算20年間働いてた財産が活かされた。

それはすごいなって思ったよね!

頻繁に来てくれてますよね。

アミューズは30年前の仲間だよ。
それが今でもOB会をやってくれて普通に集まってくれる。

現役組も来るし、他にはOBなんだけど、お互いに在籍してた時代が違ったり、そのOB会で初めて会って「はじめまして」って挨拶して仲良くなった人も居るね。

今でも新しい出会いがあるんですね。

高田馬場は高田馬場で楽しかったけど、渋谷に来たら渋谷に来たで楽しいね。

高田馬場の時は地元の人が多かったんですよね?

そうだね。

渋谷に来てからはどうですか?

色々あったけどね~。

今はとっても楽しくやれてるね!渋谷に来てからは、昔の仲間がよく来てくれるようになったね。

圧倒的に多いのは、アミューズ時代にマネージャーやってた頃に出入りしてた東芝EMIの当時のスタッフが、すごくお店に来てくれてる。

イベントの拠点も渋谷にしましたよね?

そう、それまでは高田馬場のクラブフェイズでやってたんだけど、お店を渋谷に移転する半年前に、渋谷ラママに拠点を移させてもらったんだよ。
それからは殆どラママだね。

一回だけ復帰戦で川崎のCLUB CITTA’でやったけどね。

脳梗塞になってしまった。

復帰戦の前に病気になった件を聞いて良いですか?

そうだね。

もともとビール党だったんだけど、ハイボールは糖質ゼロだから安心!を信じてビールからハイボールに変えたんだ。
そしたら飲む量が倍以上になってしまって…飲みやすいからね。
病気になる前ぐらいはウィスキーのボトル2/3~1本を毎日開けてた(苦笑)最後のほうは飲んでて気絶して寝てしまって、ハッと朝リビングで起きてた。

結局糖質制限だからってハイボールにしたけど、血液検査は悪くなったね。

そんな生活を毎日してたんですか(汗)

酒飲んでるとやっぱり眠りが浅くて、直ぐに目が覚めちゃうよね。
そんな感じで3~4時間しか寝て無くても平気だったんだよね~今にして覚えば、不健康だったんだけど。

自覚はないけど疲れは取れないですよね?

いつまでもこんな生活してたらまずいなって自分では分かってたんだけど、それでも止められなかった。

そしてある8月の日にBBQに行って、10本ぐらい缶のハイボールを飲んでて、真夏にも関わらず水を一切飲まず、ハイボールばっかりずーっと飲んで熱くなったら直ぐ側の川に入って滝に打たれて濡れて、そして濡れた身体を温めようと炎天下のトラックの荷台に寝そべって日向ぼっこしたりしてた。

そんな事してたら健常な人でも、なんかなっちゃうよね。

それはなりますね。

考えてみたらずーっとそんな事ばっかりやってたんだ。

だから神様から「お前いいかげんにしろ!」って言われたんだろうね。

その次の日、朝起きてスマホで皆にBBQのお礼ラインを送ったりしてたら、右手がおかしくなって、それが2回ぐらい起きて流石に変だと思って救急車に来てもらって、救急車が来た時は元気で「あっ!僕でーす!」って手を上げてたりしてた。
歩いて救急車に乗って「横になってください」って言われて「はーい」って横になった途端に、頭の中が詰まっちゃったんだ。
横になったら喋れないし、身体も動かなくなって、なんだこれは!?ってなったから、自分的には喋ってるつもりでも声になってなくて…そして病院に到着して、たまたま病院の紹介状を書いてもらってたから、自分が産まれた病院に産まれて以来に人生で初の入院になった。
入院ていうかその時死んじゃってたかもしれないからね。

救急車に乗れたのは奇跡ですね。

そして医者達が「脳梗塞ですかね?」「脳梗塞だったら良いんだけどな」って話してて、怖えーって思ってるけど喋れないし、切なくなったよ。
人生は儚いな~昨日まであんなに楽しかったのに、これで俺だけ人知れずに死んじゃって、他の皆は何もなかったかのように今日明日を生きていくんだって考えてたら、寂しいし、儚いし、虚しいし、でもそれ以上に怖かった。
自分に何が起きてるか理解できないから、もう怖くって。
たまたま治療の血栓を溶かす点滴が効いたみたいで、一時的にその血栓が流れて正常に戻れて「喋れるようになりました!」ってなった。
ただ右手は動かないままだったけどね。
医者から「入院して数日間様子見て何もなければ退院出来ますよ」って言われて。
それから段々と右手の感覚も治ってきて、身体も平気になって、じゃあ明日か明後日には退院できるかなって思ってた矢先に、4~5日目の朝に流れてたと思われた血栓がまた別の場所で詰まってしまったんだ。

それが本格的な脳梗塞のはじまり。

ただラッキーだったのは、担ぎ込まれた時の症状で固定されてたらダメだったね。
復帰しても喋れないし、右半身完全麻痺だし、良くて車椅子生活だったらしい。
それが生きてるのかって言えるのかなって…だからそうならなくてラッキーだったね。
だけど脳梗塞になった日の事は、未だによく覚えてないんだよね。いきなり脳梗塞になっちゃって、右手も上がらなくなって…

脳梗塞になった人にしか分からないことですよね。

右腕はまったく自由が効かないし、今でも少し呂律は悪いしけど、殆ど喋れなかったよ。

お見舞いに来てくれてた時って喋ってるつもりだったけど、喋れてた?

正直何を言ってるか分からなかったです。

皆優しいね~。
お見舞いに来てくれた皆は分かった体で会話してくれてたんだね~。

かなり声も結構小さかったんですよ。

そうだよね。

ちなみにどのくらい入院してたんですか?

最初に入院した病院には半月ぐらい。
それからリハビリ病院に転院してからは1ヶ月ぐらいだよ。
入院中も歩いてたし、呂律は怪しいけど意思は伝わってたし、脳梗塞の患者の中では比較的に軽いほうだったのかもしれないね。

ただリハビリ病院に転院した時に、生まれてはじめて過呼吸になったんだよね。

ストレスとかもあるんでしょうね。

ある!今でもたまになりそうになる。
この前もお店に入ってきた人にいきなり大声で呼ばれちゃって、過呼吸になりかけたんだよね。

病気をしたことで人生初の鬱的な症状を経験したり、自分では鬱病になったと思ったんだけど、どうも違うみたい(苦笑)

また続きます!

ブログランキング・にほんブログ村へ ブログランキング・にほんブログ村へ
スポンサーリンク
スポンサーリンク
ライフハック
フリフリをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました